昭和47年12月、第一声を上げる。幼少期は、近鉄奈良線河内小阪駅の近くに在った父の勤める会社の寮で過ごす。
昭和57年6月、東大阪市本庄から箕輪に引っ越す。
大阪府立高等学校を卒業後、アーケードゲームに嵌り、梅田のゲームセンターでゲーム大会を開いたり、ゲームメーカーのゲーム大会に出場する。
IT業界の仕事に憧れ、ECCコンピュータ学院に入学。卒業後、渡加するも帰国。友人の経営していたWeb制作チームに入るも1ヶ月で退会。当時、住んでいた賃貸マンションでWeb制作を独りで始める。
令和4年1月に大東市の大手病院にインハウスのWebデザイナーとして入職し、3年間総務課の一員としてWebデザインを始め、デザイン業務全般の業務に携わる。
令和7年10月1日に東大阪税務署に屋号を提出。「ウェブフレイム」として自営業を開始。Webデザイナーとして市場の開拓を行うが、中々成果が出ずに悩む。